2012年05月25日

6月28日に第93回学習会を開催します

「国本平和学習会」からのお知らせ

☆毎月第4木曜日に定例学習会を開催しています。
☆時間は、午後7時〜午後8時(延長:午後9時まで)
☆学習教材として『日本国憲法』(童話屋、300円)と
 『あたらしい憲法のはなし』(童話屋、300円)を使用しています。
☆会場は「国本地区市民センター」です。所在は「検索」などで確認して下さい。
☆誰でも参加できます。(参加無料)
☆平和、文化、教育問題についての発言者、戦争体験の発表者を募集しています。
☆会員募集中です。(年会費:1000円)
☆ブログ:http://khgk.seesaa.net/

下記の通り、第93回学習会を開催します。

第93回学習会
日時:2012年6月28日(木) 午後7時〜8時
会場:国本地区市民センター 2階 集会室
内容:内閣を考える
1.教材学習
 『日本国憲法』 内閣(37〜41頁)
 『あたらしい憲法のはなし』 内閣(59〜65頁)
2.自由討論
3.その他

☆次回予定
第94回学習会
日時:2012年7月26日(木) 午後7時〜8時
会場:国本地区市民センター 2階 集会室
内容:司法を考える
1.教材学習
 『日本国憲法』 司法(41〜45頁)
 『あたらしい憲法のはなし』 司法(65〜67頁)
2.自由討論
3.その他

詳しくは、事務局(今井)まで、お問い合わせ下さい。
☆TEL:028−902−4200
☆FAX:028−902−4221
☆Email:05a21@goo.jp

☆学習教材について
「憲法を生かす会・栃木」のHPに、どちらも全文掲載されています。
http://www2.ucatv.ne.jp/~kenpou.snow/niken2.htm

また東京新聞のHPに、「試される憲法」が掲載されています。
【日本国憲法の誕生から60年。日本の“かたち”を決する、還暦を迎えた最高法規を改めようという動きが顕著になっています。これからの時代、憲法はどうあるべきなのでしょうか。不戦の誓いを掲げた9条を中心に、各分野の人たちが憲法を考え、語ります。】(2007年12月29日終了)
http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2007/consti/

さらに「憲法を歩く 施行60年」が掲載されています。
【戦後最長の好景気を更新中と言われても、多くの働く人々にその実感はないだろう。国内企業全体の利益は昨年、史上最高を記録したが、その陰で困窮する労働者が急増している。「生存権」を保障した憲法は、その方策として「勤労の権利と義務」を掲げる。だが、労働環境の劣化は生存権すらも脅かしている。第四部では「貧困と労働」の現場を歩いた。】(2007年12月28日まで)
http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2007/kenpou/

なお「はじめての憲法 逐条解説」のHPは、
http://www009.upp.so-net.ne.jp/law/kenpou.html
あ な た は 憲 法 の 条 文 を 一 つ で も 知 っ て い ま す か ?
 戦後60余年を迎え、憲法改正について踏み込んだ議論がはじまっています。 性急な憲法改正への動きの中、その中心にいなければならないはずの国民が、どこにも見当たりません。憲法とは誰のためのものでしょうか? 戦争の放棄を誓った憲法前文や第9条をどう考えればよいのでしょうか? 日本国憲法は、いまも世界中の人々が求めてやまない理想をかかげています。憲法には何がきざまれ、それがどのような意味を持ち、私たちに何を語りかけているのでしょうか?
 当サイトでは、抽象的な憲法議論の紹介を中心とはせず、憲法の条文を一つ一つ紹介しながら、どのような意味や議論があるのかを、逐条解説の形で簡単に解説しています。まずは条文だけでも読んでみて下さい。連日報道される憲法改正の議論が、もっと身近で興味の持てるものになれば幸いです。
posted by 平和憲法を学ぶ at 12:51| 栃木 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 定例学習会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月09日

【栃木】行ぐべ!とちぎ「食」の回廊 6〜10 たかはら山麓水街道

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20120503/CK2012050302000145.htmlより、
【栃木】行ぐべ!とちぎ「食」の回廊<6>那須高原ミルク街道 濃厚な味、牛の恵みに感謝
東京新聞 2012年5月3日
(写真)雌牛メグちゃんの頭をなでる大江さん=那須町で

 ミルク街道を訪れるなら、ミルクの源泉をたどらなければならない−。そんな使命感を勝手に抱きながら、宇都宮市から東北自動車道を車で北上し、那須インターチェンジ(IC)で降りた。
 向かった先は、牛の乳搾りが体験できる那須町高久丙の「りんどう湖ファミリー牧場」。牧場スタッフの大江日和(ひより)さん(28)が、茶色の毛並みをした六歳の雌牛メグちゃんと一緒に出迎えてくれた。
 メグちゃんの後ろ脚の間にある乳房に手のひらをあてると、パンパンに張っているのが分かった。その下にウインナーのような乳首が四本垂れ下がっている。驚くことに、すでに乳首の先からはミルクがしたたり落ちていた。
 「さっき少し搾ったので、それが刺激になって出てきちゃうんですよ」と大江さん。搾り方を教わり、実際にやってみた。
 乳首に手を添え、付け根を親指と人さし指でしっかり握り、順に中指、薬指と力を入れていく。と、勢いよくミルクが飛びだした。手で触ってみると、ほんのりとした温かさが手のひらに広がった。
 給食や家庭の食卓で小さいころから牛乳を飲んできたが、知っているのは冷蔵庫で冷やされたものばかり。牛乳って最初は温かいんだよなと、普段は意識しない当たり前のことを再確認させられ、牧場を後にした。
 乳搾りをした後は実際にミルクを味わいたい。そう思い、数百メートル離れた「アイス工房 ももい」へ。隣接の牧場で搾った新鮮な牛乳を使っているという。
 店内には抹茶やイチゴなど十数種類のアイスクリームが並び、店員にお薦めを尋ねると、間髪入れず「ミルク味です」。こんもりと盛られた真っ白のアイスにかぶりついた瞬間、濃厚な味が口いっぱいに広がり、幸せな気持ちになった。
 最後は那須ICにほど近い温泉「源泉那須山」へ。源泉掛け流しの温泉は無色透明で、なめるとわずかに塩の味。ゆっくりと露天風呂につかり、芝生が敷き詰められた広い中庭を眺め、自分の肩や脚をもみほぐした。
 たっぷり汗をかき、喉の渇きをおぼえたため、風呂から上がった。のれんを出て、ミルク街道を締めくくるべく足を向けたのは売店。メグちゃんのたわわな乳房を思い出し、きんきんに冷えた瓶入り牛乳を一気に飲み干した。(石井紀代美)
◆メモ
 搾乳は「体験館“TRY”“TRY”“TRY”」=電0287(68)0450=でも体験できる。料金はチーズ、ソーセージ作り体験とセットで1575円で、3日前までに予約が必要。牛乳だけでは物足りない人は「SAPPORO那須森のビール園」へ。併設の工場で生産される5種類のビールが試飲できる(1杯200円)。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20120504/CK2012050402000124.htmlより、
【栃木】行ぐべ!とちぎ「食」の回廊<7>日光例幣使そば街道 郷土の誇り「ニラそば」で
2012年5月4日
(写真)鹿沼産のそば粉とニラを使った自慢のニラそばを手に話す「大越路」の大塚さん=鹿沼市で

 徳川家康の忌日(四月十七日)に朝廷から派遣された「例幣使」一行が通った街道「日光例幣使街道」。今、県内外のそば愛好家が季節を問わず訪れる街道を訪ねた。
 昨年四月二十九日に鹿沼市中心部にオープンした「まちの駅 新・鹿沼宿」の藤田玲子さん(57)は、「熟年夫婦を中心に、いいそば屋はないかとよく尋ねられます」と話す。
 愛好家がまず訪れるのが、同駅内にある「大越路(おおこえじ)」。大塚光幸さん(64)が、出身地の同市下永野の大越路峠直下に一九七七年に開業した本店の、支店第一号だ。
 鹿沼産のそば粉を毎朝、石臼で挽き、そば打ちする。それを店内の冷水器で冷やしてから出す。鹿沼特産のニラとまぜた人気商品ニラそばは、肉厚でやわらかいニラと、冷たく甘い風味のそばとが絶妙な食感をかもし出す。
 「新そばの風味を冷水で締めている。ニラは鹿沼産でなければだめですね」。地元産に誇りを持つ大塚さんの言葉に思わずうなずく。
 例幣使街道は、鹿沼から日光道中に入り、今市宿(日光市)までとされた。杉並木が続く国道121号を車で約四十分走ると、今市中心街にある「杉並木公園」に。公園内の樹齢約三百八十年の杉並木を散策後、公園内の「そば処・報徳庵(ほうとくあん)」へ。
 日光にゆかりの深い二宮尊徳の生家を復元した建物は、黒光りした大黒柱に支えられ、尊徳の生涯や思想を描写したパネルが展示されている。落ち着いた雰囲気の中、とろろや山菜などが入った「金治郎そば」をいただく。
 店主の上吉原ユミ子さん(60)は、「今年で十八年目。お客さんの八割近くは観光客で、世界遺産登録の二社一寺の行き帰りが多いですね。例幣使街道の杉並木にも興味を持ってほしい」と話す。
 今市からは、二社一寺や中禅寺湖・戦場ケ原を目指して西に行こうか、それとも北上して会津西街道沿いに温泉めぐりをしようか。そばと組み合わせると、当地の楽しみは格段にアップする。(石川徹也)
<メモ> 日光市と鹿沼市、栃木市がエリア。車の場合、東北自動車道鹿沼インターチェンジ(IC)や日光宇都宮道路今市IC、日光ICなどで降りると便利。134のそば店が参加して、6月末までスタンプラリーを開催中で、11月の「日光そばまつり」の食事券などが当たる。問い合わせは日光例幣使そば街道推進協議会=電0289(62)5236=へ。
 「まちの駅 新・鹿沼宿」=電0289(60)2507=では、オープン一周年記念として、6日まで感謝祭が行われ、そばの試食販売などが行われる。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20120505/CK2012050502000114.htmlより、
【栃木】行ぐべ!とちぎ「食」の回廊<8>とちぎ渡良瀬いちご・フルーツ街道  旬の果物がめじろ押し
2012年5月5日
(写真)朝摘みイチゴを使ったオリジナルスイーツ=岩舟町のいわふねフルーツパークで

 新鮮な果物や野菜の誘惑に、思わず立ち寄ってしまう観光農園や農産物直売所。小山市から足利市まで、県南部を横断する国道50号沿いを中心とした「とちぎ渡良瀬いちご・フルーツ街道」には、そんな“おいしい”施設がめじろ押しだ。
 この時期は、旬のイチゴを味わう最後のチャンス。多くの施設でイチゴ狩りが楽しめるが、予約が必要な場合もあり、事前に問い合わせを。国道50号の北に位置する小山市の「いちごの里」では、要予約で土日祝日にイチゴのジャム作りが体験できる。地元野菜をふんだんに使ったメニューが豊富なビュッフェレストラン「いちご一会」もあり、食事もばっちり。
 街道を北西へ向かうと、栃木市大平地域(旧大平町)の「大平ぶどう団地」に目を引かれる。約七十戸の観光ブドウ園が集まり、辺り一面に広がるブドウ畑に、旬を迎える夏が待ち遠しくなる。
 団地を抜け、国道50号へ向かいがてら、岩舟町の「いわふねフルーツパーク」に寄ろう。パークの農園で収穫したイチゴを使った「とちおとめ酢」など独自商品を販売しており、季節限定のオリジナルスイーツ「フレッシュ生いちごミルクジェラート」は“一食の価値”あり。
 農園でその日の朝に摘み取った新鮮なイチゴを使用。注文すると、店頭でイチゴを巧みな手さばきでつぶし、バランス良くジェラートと混ぜ合わせて提供してくれる。スタッフの鈴木リサさん(36)は「イチゴのフレッシュな食感と甘酸っぱさ、甘いジェラートとの抜群の相性を味わって」。
 生イチゴのオリジナルスイーツは、「思川」「みかも」「どまんなかたぬま」といった道の駅でも食べられる。それぞれ独自のメニューを用意しているので、お気に入りを見つけてみては。
 街道を西に進むと、果樹園がずらりと並ぶ佐野市の「佐野フルーツライン」だ。六月下旬にはみずみずしいモモの直売が始まり、ナシが続く。摘み取り体験ができる農園もあり、季節を変えて何度訪れても楽しませてくれそうだ。(清水祐樹)
<メモ> 街道を回るには、小山市から足利市方面へと向かうJR両毛線が便利。自動車の場合は東北自動車道佐野藤岡インターチェンジで降りて国道50号へ。広大なヨシ原が特徴の渡良瀬遊水地や、眺望が美しい太平山など自然豊かな見どころが点在し、いわふねフルーツパーク向かいの「とちぎ花センター」では、四季折々の花と緑が楽しめる。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20120506/CK2012050602000128.htmlより、
【栃木】行ぐべ!とちぎ「食」の回廊<9>那珂川あゆ街道 頭まで丸ごと堪能
2012年5月6日
(写真)アユが並んだ店頭で客を待つ高橋さん=大田原市で

 アユのシーズンはまだ先なのに、「あゆ街道」か…。重い気持ちを引きずり、那珂川沿い目がけて宇都宮市から車を走らせた。不安が払拭(ふっしょく)されたのは、大田原市黒羽向町の那珂川に架かる橋の手前にさしかかったころ。竹串に刺さったアユが店頭にずらりと並ぶ「高橋商店」が目に飛び込んだ。
 アユが食べられるうれしさが半分、なぜこの時期にという疑問が半分。とりあえず店に入り、アユの塩焼きを頼むことにした。
 奥の焼き場で作業をしていたのは社長の高橋俊一さん(56)。素朴な疑問に、「この時期のアユは全部養殖だよ」と教えてくれた。
 しばらくして、頭から尾まで二五センチはありそうな立派なアユが出てきた。形は生きていた時そのままに、美しいフォルムを保っている。刺し身やフライになった魚を食べ慣れているせいか、口に運ぶのに少し戸惑いをおぼえた。
 「どこから食べたらいいんですか」。戸惑いがそんな言葉になって表れた。高橋さんは「決まった食べ方なんてない。好きなところから自由に食べるんだよ」。
 背中からがぶっとかぶりついてみた。歯が入り込むと、瞬時に口の中で柔らかい身がほぐれていく。薄い塩味に食が進んだ。
 あっという間に背中の白い身を食べ終わると、腹部の黒っぽい内臓が見えた。「ここは食べられるんですか」と尋ね、「もちろん食べられるよ」と勧められる。好物の焼き肉では牛や豚の内臓を好んで食べるが、魚の内臓を食べるのはいつ以来だろう。恐る恐る試したら、舌の上にほどよい苦味。悪くない味だった。
 手元のアユはもう、頭と背骨と尻尾のみに。「ごちそうさま」と心の中でつぶやきかけた時、高橋さんが「頭が一番おいしいんだから」。
 あらためて、アユの顔と向き合う。焼かれて白くなった目玉、ぱっくりと開いた口。生き物の命をいただいているんだという思いが全身に満ちた。
 背骨から手で引き離した頭を、ぱくり。目や口の周りの筋肉はよく動いて引き締まっているからだろうか、背中の部分より歯応えがあり、とてもおいしく感じた。
 「天然のアユはもっとおいしいぞ」。夢中で食べる私の隣で、高橋さんがほほ笑んでいた。(石井紀代美)
<メモ> 「高橋商店」のアユは通常サイズが200円、大が300円、子持ちが500円。「黒羽観光簗漁業組合」でもアユ料理が食べられる。泳いでいる魚を見たい人は「なかがわ水遊園」へ。アユはもちろん、300種類2万匹の魚を観察できる。
 地元の農家がその日の朝に収穫した新鮮な野菜などが販売されている「道の駅那須与一の郷」もお薦め。那須与一の武勇伝をからくり人形で再現するアトラクションがあり、歴史好きにはたまらない。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20120509/CK2012050902000138.htmlより、
【栃木】行ぐべ!とちぎ「食」の回廊<10> たかはら山麓水街道 命育む深山の名水
2012年5月9日
(写真)尚仁沢湧水から脈々と流れる名水。澄んだ水質と力強い流れに自然の力を実感する=塩谷町で

 勢いよく流れる水の音が心地いい。新緑の木々からの木漏れ日が山道を照らす。小鳥のさえずりと、澄んだ空気が体を包み込む。五感を刺激される中、全国名水百選の「尚仁沢湧水」(塩谷町上寺島)の源泉へ向かった。
 舗装された道を終えた直後、目的地まで八百メートルの標識。アップダウンの激しい階段や山道が始まる。思わず、息を切らした。間もなくたどり着いたつり橋から川を望むと、くっきりと川底が見える。
 「目にも鮮やかで気持ちいい」。鹿沼市から来た夫婦は川岸に立ち、笑みを浮かべた。十年ほど前に訪れたことがある夫婦の目に映る今の景観は、当時と変わらないという。“マイナスイオン”をまとった二人の表情は、生き生きとしていた。
 足元の不安定な山道を歩くこと約三十分。高原山の中腹から脈々と湧き出る源泉は、自然美を如実に物語る。湧水量は一日当たり六万五千トンと国内有数。年間を通して水温は一一度前後に保たれ、夏場に渇水することも、冬場に凍結することもなく、周りの木々や動植物を育み続ける。
 母親と訪れた那須塩原市の鈴木翔君(11)と舞ちゃん(9つ)きょうだいは「空気も気持ちいい。源泉までの道のりは大変だったけど、いい景色が見られてよかった」と晩春の自然散策を楽しんでいた。
 湧水を気軽に楽しむなら、近くの東荒川ダム沿いの「名水パーク」(同)がある。源泉から直接配管して水を提供している。「仙台」「つくば」「大宮」−。駐車場には県外ナンバーの車が並ぶ。ポリタンクやペットボトルを何十個も取り出す人の姿も。皆、黙々と水を注ぎ込む。
 二十年来通う宇都宮市の夫婦は二リットル入りのペットボトルを三十本持参。「売っているミネラルウオーターより癖がなく、滑らかな味わい」と話した。「近所の人に配ると、みんな喜んでくれる」と大量のペットボトルの行き先を教えてくれた。
 ただ、以前から様子は一変したという。原因は東日本大震災による福島第一原発事故。「震災以降、来る人が少なくなった。風評被害は怖い。おいしくて、安全な水なのに」と、全国でも有数の名水地の現状を憂えた。
 名水のあるところ、名酒あり。湧水を仕込み水に使った酒を製造する「森戸酒造」(矢板市東泉)や、伏流水を用いた酒造りに取り組む「富川酒造店」(同市大槻)の名酒を土産に持ち帰れば、自宅で名水の恩恵を堪能できる。悠久の自然が生み出す名水を満喫するすべは、多種多様に広がる。(磯谷佳宏)=おわり
<メモ> 「たかはら山麓水街道」は矢板、さくら両市と塩谷、高根沢両町がエリア。尚仁沢湧水へは、東北自動車道矢板インターチェンジから車で約50分(25キロ)を要する。近くの名水パークの一角には「尚仁沢はーとらんど」があり、地元の特産品も購入できる。高根沢町上高根沢には日本疏水(そすい)百選に数えられる「湧水おだきさん」がある。「おだきさん」と呼ばれた女性の入水(じゅすい)伝説が名前の由来とか。五行川の田園地帯に残る湧水地で、水どころの一翼を担うスポットに挙げられている。
posted by 平和憲法を学ぶ at 14:29| 栃木 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月04日

憲法遠い存在? 記念日、宇都宮の街は

http://mytown.asahi.com/tochigi/news.php?k_id=09000001205040002より、
憲法遠い存在? 記念日、宇都宮の街は
朝日新聞 2012年05月04日
(写真)「関心も高まってないので」と憲法関連の書籍は普段通りの棚に並べられていた=3日、宇都宮市の喜久屋書店

 日本国憲法の施行から65年の3日、県内で目立ったイベントはなかった。憲法記念日を感じさせるものはないか、宇都宮市の中心街を歩き、若い世代には、憲法について聞いてみた。
 宇都宮市馬場通り2丁目の喜久屋書店。憲法記念日に合わせたコーナーは設けておらず、書棚に約200冊の憲法関連の書籍が、いつも通りに並んでいた。
 「勉強目的など読む人は限られていますので」と書店社員の品田洋道さん(36)。東日本大震災と憲法を絡めて、生存権などを考える書籍も出ているが、「民法といった身近な法律書の方が読まれている。栃木で憲法というのも身近ではないし、よっぽど話題にならない限りは…」。
 「母の日、いや建国記念の日でしょ」。オリオン通りにいた10〜30代の男女10人に「今日は、何の日ですか」と聞いてみた。すると、7人が憲法記念日と答えられなかった。
 通りの衣料品店で働く宇都宮市の男性(25)は答えられなかった1人。「普段生活している中で、憲法に触れる機会がない。仕事も忙しくて、テレビや新聞も見られないから」と話した。
 観光で訪れた茨城県常陸大宮市の男子学生(21)も「祝日のイメージしかない。車で来たが、憲法のイベントなどひとつも見なかった」と話す。「全文覚えなくても、(戦争放棄の)第9条とかテストに出るところを覚えとけばいいだけになっている。日本には憲法がある、という程度の認識しかない」
 一方、買い物に訪れた群馬県板倉町の高校2年田島渓さん(17)は即答した。「憲法は最低限守らないといけないルールだと思っている。国家公務員を目指しているので、将来きちんと学びたい」と語った。
 上三川町に帰省中の会社員佐々木覆さん(24)は「若い子が集まる音楽フェスティバルなどで、芸能人などが憲法を広めてくれたら若い人も関心を持つのでは」と語った。(毛利光輝)
posted by 平和憲法を学ぶ at 10:40| 栃木 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月02日

【栃木】行ぐべ!とちぎ「食」の回廊 1〜5 歴史とロマンのかんぴょう街道

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20120428/CK2012042802000134.htmlより、
【栃木】行ぐべ!とちぎ「食」の回廊<1>足利佐野めんめん街道 くせになる「耳うどん」
東京新聞2012年4月28日
(写真)もっちりした食感がくせになる耳うどん。野村社長は「さまざまな味を食べ比べて」と話す=佐野市の野村屋本店で

 ラーメン、焼きそば、そば、うどん…。県南の足利、佐野、栃木市をつなぐ国道293号沿いを中心とした「足利佐野めんめん街道」は、その名の通り、さまざまな麺類が味わえる。どれも魅力的で目移りしてしまうが、まずは足利市役所近くの有名そば店へ。
 そば業界にかつて「足利詣で」−という言葉があった。そば打ち名人と呼ばれた故片倉康雄さんが一九五四年に開業した「一茶庵(いっさあん)本店」に、全国各地の職人がそば打ちを学ぼうと訪れたという。さっぱりしたのどごしの良いそばは、さすがの一品。
 地元の人に、そば以上に親しまれている麺が、「ポテト入り焼きそば」。由来は定かでないが、大正時代に県南でよくとれて子どものおやつだったジャガイモが、戦後に麺と混ぜられ、屋台で売られるようになったとの説がある。
 市内には二十以上の焼きそば店があるが、地元向けの小規模店がほとんど。隠れた名店を探すつもりで食べ歩くのもいいかもしれない。市中心部の有楽公園近くには人気の屋台「とみや」が出店し、昼時は行列ができる。
 街道を東へ向かって佐野市に入ると、至る所に名物「佐野らーめん」の店が。店選びに迷ったら、街道の南、JR佐野駅前の交流プラザ「ぱるぽーと」を訪れよう。「らーめんミニ博物館」と銘打ったコーナーに、約三十店のラーメンの模型を展示。麺や具材、スープなど店主のこだわりも紹介している。
 ここまで来たら、近くの「野村屋本店」は外せない。同市仙波町に伝わる正月の郷土料理「耳うどん」が年間通して食べられる貴重な店。「悪魔の耳」に見立てた形のうどんで「耳を食べれば、わが家の話を悪魔に聞かれずに無事に過ごせる」などの言い伝えがあるとか。
 一口食べると、“耳たぶ”や“耳の穴”の部分ごとに異なるもっちりした食感がくせになる。しょうゆベースのこだわりのつゆも絶妙だ。定番のつゆ以外にみそ煮込みやカレー、けんちん汁と多彩な味があり、「何度も来て食べ比べして」と話す野村信行社長(54)の言葉に大きくうなずいてしまった。(清水祐樹)
     ◇
 今日からゴールデンウイーク。「どこへ遊びに行こうか」と考えている人もいるはず。県内には「見る」「食べる」「体験する」をテーマに、地域の食や歴史、文化に触れることができる「とちぎ『食』の回廊」がある。「行ぐべ!」の掛け声とともに、十カ所の街道を記者が歩いてみた。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20120429/CK2012042902000147.htmlより、
【栃木】行ぐべ!とちぎ「食」の回廊<2>八溝そば街道 自分で打つ絶品そば
2012年4月29日
(写真)「リズムよく切るのがコツ」と話す星克彦さん=那珂川町で

 「この辺りは山あいで、西も東も山をしょっている。寒暖の差が大きいから、香り高いソバが育つんですよ」。そば打ちのわが“師匠”、星克彦さん(43)はそう言って胸を張った。
 茨城県との県境に広がる八溝(やみぞ)山地にあり、ソバの栽培が盛んな「八溝そば街道」を茂木町から車で北上。水入れ前の棚田を横目に見つつ、たどり着いた御前岩物産センター(那珂川町大山田下郷)では、地元産のそばを食べるだけでなく、そば打ち体験もできる。
 店長の星さんは、東京のそば店時代を含め、三十年近い経験の持ち主。エプロンを着けるところから、まごまごしている記者を手助けしてくれる優しさの持ち主でもある。
 丁寧な指導を受けられそうだと安心したところで、手を洗い準備万端。そば粉七、小麦粉三の割合の粉に水を注ぎ、こねる。そば粉は朝にひいたもの。「ひきたて、打ちたて、ゆでたて、がうまいそばの秘訣(ひけつ)ですから」と星さん。麺棒で延ばし、約五十センチ四方になったところで長方形に折り畳む。
 ここでそば切り包丁の出番。「トン、トン、トン」。星さんの手際のよさにしばし見とれる。「リズムよく切るのがコツ」との助言を頭で反すうしながら挑戦する。「トン…ト」。幅二ミリにそろった手本に比べ、何ともふぞろいだ。
 「まあ、みなさん最初はそういうものです」。めげずに切り終わると、早速ゆでてもらうことに。ざるに盛られた姿はつややかで見栄えがよく、食欲をそそる。二人前を平らげた。
 一時間ほどの作業で打ったそばは八人前。残りはお土産として包んでくれた。
 帰り道。山あいを車で走っていると、星さんの言葉を思い出した。「秋には、ソバが白い花を咲かせているのが道から見られますよ」。地産地消ならではの風景に思いをはせると、助手席に置いた土産がより楽しみになった。(内田淳二)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20120430/CK2012043002000115.htmlより、
【栃木】行ぐべ!とちぎ「食」の回廊<3>餃子の街宇都宮ベジフル街道 屋台横丁で「飲み友」づくり
2012年4月30日
(写真)杯を交わしながら談笑する客や店長=宇都宮屋台横丁の「笑箱」で

 単身赴任の楽しみといえば酒。野菜(ベジタブル)やフルーツをうたった「ベジフル街道」の健康的なイメージからやや外れるが、夜の宇都宮市を歩いた。
 まずは、県庁近くにある「酒々楽(ささら)」。県酒造組合のアンテナショップで、県内三十六の酒造会社が自慢の日本酒を並べる。
 千円で十枚つづりの券を買い、一杯百円で好みのお酒を注文する仕組み。菊の里酒造(大田原市)の「大那」を試したが、すっきりして美味だ。あくまでアンテナショップなため量は少なく、つまみは乾き物程度。営業時間も平日の夕方五〜七時だが、東京から来た女性二人連れは「安いし、蔵元の人と話せて楽しい」と満足そう。
 次に「宇都宮屋台横丁」へ。中心市街地の活性化を目指し、二〇〇四年にオープンした屋台村だ。凹字形のカウンターに、いすが八席程度の小さな店が二十三軒。沖縄料理、ギョーザ、串焼き、エスニック料理…とバラエティーに富む。
 いろんなカクテルや焼酎が楽しめる「知日流(ちひる)」の看板をくぐり、黒糖焼酎とカクテル「チャイナブルー」を注文。つまみはイクラ入りだし巻き卵、クリーム納豆スパゲティ。「外食だから食べられる料理」を工夫しているといい、個性的で美味。
 屋台の何が楽しいかと言えば、狭い店内だから、見ず知らずの客とたちまち親しくなれるところ。自動車業界の男性サラリーマンは「いろんな業種の人と会えて勉強になる」と話していた。
 屋台横丁の村長を務める阿部智行店長(32)は「『常連客が多く入りにくい』という声も聞くが、店も客も温かく迎えるので、ぜひ気楽に屋台横丁に来てほしい」と話した。
 数メートル歩いて、串焼きの「笑箱」へ。斉藤友康店長(29)が、カシラとハラミの串を目の前で焼いてくれた。屋台横丁名物の日本酒「大那あかまる」と一緒にいただき、幸せな気分に。男女二人ずつの先客が楽しそうに話していたが、さっき出会ったばかりだという。
 三軒目はドイツ屋台「アンドレア」。南ドイツ出身のアンドレアさんと妙齢の女性客三人、なぜか犬もいる不思議な空間で、乾杯を繰り返した。飲んだのはドイツビール「パウラナーヴァイスビア」。あ、気がつけばもう午前一時…。(高山晶一)
 餃子(ギョーザ)の街宇都宮ベジフル街道は宇都宮市内を走る。「酒々楽」「宇都宮屋台横丁」は中心市街地にあり、いずれも東武宇都宮駅から徒歩10分程度。
 街道は、ほかに温泉施設「ほたるの里梵天(ぼんてん)の湯」、農と食の体験型パーク「ろまんちっく村」、巨大な地下空間が広がる「大谷資料館」、中世の世界に触れられる「とびやま歴史体験館」などが見どころ。郊外には観光農園や農産物直売所、主に市街地にカクテルバー、市内全域にギョーザ店がある。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20120501/CK2012050102000133.htmlより、
【栃木】行ぐべ!とちぎ「食」の回廊<4>いい芳賀いちご夢街道  「王国」のイチゴを満喫
2012年5月1日
(写真)イチゴ狩りを楽しむ女性たち。甘みたっぷりの実を口に運べば会話も弾む=益子町で

 収穫量日本一の「イチゴ王国」の中でも、県南東部は特に熱い。とちおとめの甘い香りに誘われ、イチゴづくしの旅へ出発−。
 最初の目的地は、北関東最大級の「JAはが野益子観光いちご団地」(益子町塙)でイチゴ狩り。百十一棟ものビニールハウスが並ぶ敷地内は、まるで迷路だ。窓口で千円を支払い、係の人に案内してもらった。
 “売り”は時間無制限。へたを入れるカップを左手にハウス内を奥まで進むと、赤々とした実があちこちにある。腰をかがめ、緑のへたから摘み取ると、思い切って一口でパクリ。柔らかな甘みに、思わず「う〜ん」。
 「イチゴは先端が甘いので、逆にへたの方から食べた方が甘みが分かるんですよ」。食べ方のポイントを教えてくれたのは、同団地のスタッフ。一人当たりの滞在時間は平均一時間。イチゴ狩りシーズンは二十日までで、七日から八百円に割り引かれる。
 茨城県八千代町の会社員柴真理子さん(22)ら女性三人組は「パック詰めで売っているイチゴは粒がそろっているけど、大きさを選びながら摘み取るのが楽しい」とにっこり。昨年できた新品種「栃木i27号」のパックをお土産に買った。
 次は、街道の南の玄関口となっている「道の駅にのみや」(真岡市久下田)へ。ここには「いちご情報館」があり、イチゴにまつわるタッチパネル式のクイズに挑戦できる。販売施設では「イチゴのカレー」という興味深い商品を見つけ、お土産がまた増えた。
 街道の魅力はイチゴばかりではない。益子町には陶芸体験できる約二十の施設がある。電話で予約しておいた長谷川陶苑(とうえん)(同町益子)に向かった。
 二十台のろくろが並ぶ作業場で、人生初の陶器作り。「最初は筒のような形を作り、厚さを調整しながら変形させましょう」。エプロンをして電動ろくろの前に座ると、五代目の長谷川亘さん(32)が一つ一つの工程を丁寧に教えてくれる。
 高さ約三十センチの粘土の先端を手のひらで包み、上から二本の親指でくぼみを広げていく。力加減が難しい。ろくろの回転に手を取られ、形を崩してしまう。手助けしてもらい、粘土を薄く伸ばすコツを少しずつ覚えた。
 「何を作ろうか、先に考えておくのがお勧め。イメージしたものができると達成感もある」と長谷川さん。最後に色を選び、自分で作った茶わんとどんぶりの二点を注文した。一カ月後、家に届くのを楽しみに待とう。(神田要一)
 「いい芳賀いちご夢街道」は真岡、益子、茂木、市貝、芳賀の5市町がエリア。真岡市から茂木町にかけて真岡鉄道が通り、3〜6日にSLが運行される。
 市貝町芝ざくら公園(同町見上)では、13日まで「芝ざくらまつり」を開催中。ほかにも、93・3ヘクタールを誇る井頭公園(真岡市下籠谷)、廃校になった小学校の木造校舎を活用した体験施設「昭和ふるさと村」(茂木町木幡)などのスポットがある。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20120502/CK2012050202000135.htmlより、
【栃木】行ぐべ!とちぎ「食」の回廊<5>歴史とロマンのかんぴょう街道 食欲を刺激 300年来の味
2012年5月2日
(写真)「お客さんにレシピを教えることも多いですよ」と話す鈴木さん。手にしているのはかんぴょうの束で、手前が「花みどりご膳」=壬生町で

 かんぴょう。かつて出合った場面を振り返ってみる。巻きずし、昆布巻き…。残念ながら、それぐらいしか思い浮かばない。子どものころからなじみのある食材なのにだ。
 しかし、ここ栃木は国内生産量の九割以上を占める“かんぴょう王国”。生産が盛んな壬生町には、かんぴょう尽くしの料理が食べられる店があると聞き、早速出掛けた。
 目指す「レストラン花みどり」は、広大な「とちぎわんぱく公園」の中にある。あちこちで鮮やかな赤や黄の花を咲かせるチューリップに誘われるように、しばし散策。約四十ヘクタール、東京ドーム八個分の広さがあるだけに、聞こえるのは鳥のさえずりと、駆け回る子どもたちの歓声だけだ。
 小腹がすいたところで、お店に到着。事前に電話で予約しておいた「花みどりご膳」(千二百円)を注文する。「みそ汁や焼き物など八品すべてにかんぴょうが入っています」。レストランを切り盛りする鈴木節子さん(60)は、そう紹介してくれた。近くの席にいた女性グループも「あら、すごいわねえ」と興味津々の様子だ。
 まずはキュウリやニンジンとあえた酢の物。酸っぱさがなじんだかんぴょうは、独特の歯応えで食欲を刺激してくれる。竜田揚げ、肉のかんぴょう巻きはごはんが進む。そのごはんは、かんぴょうを一緒に炊き込んだものだ。さらに卵とじに漬物、どれもおいしい。
 かんぴょうは、ウリ科のユウガオをひも状に細長くむいて干したもの。「かんぴょう自体は、ほのかな甘みがあるだけで味がない。だから何の料理でも合う。しかも食物繊維や鉄分、カルシウムが豊富な『健康食』なんです」と鈴木さん。個性がないことが個性。さすが、今年で県内に伝来して三百年となる歴史を持つ食材だ。奥深い。
 食後は鈴木さんに勧められるまま、かんぴょうの粉末が入ったバニラアイス(二百五十円)を購入。来たときよりも少し哲学的な顔をしながら、アイスを片手にもう一度、日が照りつける公園の散策に向かった。(内田淳二)
<メモ> 街道は、かんぴょうの生産が盛んな壬生町、上三川町、下野市、小山市に広がる。かんぴょうとつぶあんが入った「夕顔最中」などが人気の「菓子処 菊屋」(上三川町)など、かんぴょうを用いたお菓子を販売している店も多い。
 とちぎわんぱく公園内には「おもちゃ博物館」(壬生町)があり、近くには「おもちゃのまちバンダイミュージアム」(同)も。子ども連れにもオススメな、一日楽しめるスポットとなっている。
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2012年04月26日

5月24日に第92回学習会を開催します

「国本平和学習会」からのお知らせ

☆毎月第4木曜日に定例学習会を開催しています。
☆時間は、午後7時〜午後8時(延長:午後9時まで)
☆学習教材として『日本国憲法』(童話屋、300円)と
 『あたらしい憲法のはなし』(童話屋、300円)を使用しています。
☆会場は「国本地区市民センター」です。所在は「検索」などで確認して下さい。
☆誰でも参加できます。(参加無料)
☆平和、文化、教育問題についての発言者、戦争体験の発表者を募集しています。
☆会員募集中です。(年会費:1000円)
☆ブログ:http://khgk.seesaa.net/

下記の通り、第92回学習会を開催します。

第92回学習会
日時:2012年5月24日(木) 午後7時〜8時
会場:国本地区市民センター 2階 集会室
内容:国会を考える
1.教材学習
 『日本国憲法』 国会(28〜36頁)
 『あたらしい憲法のはなし』 国会・政党(41〜58頁)
2.自由討論
3.その他

☆次回予定
第93回学習会
日時:2012年6月28日(木) 午後7時〜8時
会場:国本地区市民センター 2階 集会室
内容:内閣を考える
1.教材学習
 『日本国憲法』 内閣(37〜41頁)
 『あたらしい憲法のはなし』 内閣(59〜65頁)
2.自由討論
3.その他

詳しくは、事務局(今井)まで、お問い合わせ下さい。
☆TEL:028−902−4200
☆FAX:028−902−4221
☆Email:05a21@goo.jp

☆学習教材について
「憲法を生かす会・栃木」のHPに、どちらも全文掲載されています。
http://www2.ucatv.ne.jp/~kenpou.snow/niken2.htm

また東京新聞のHPに、「試される憲法」が掲載されています。
【日本国憲法の誕生から60年。日本の“かたち”を決する、還暦を迎えた最高法規を改めようという動きが顕著になっています。これからの時代、憲法はどうあるべきなのでしょうか。不戦の誓いを掲げた9条を中心に、各分野の人たちが憲法を考え、語ります。】(2007年12月29日終了)
http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2007/consti/

さらに「憲法を歩く 施行60年」が掲載されています。
【戦後最長の好景気を更新中と言われても、多くの働く人々にその実感はないだろう。国内企業全体の利益は昨年、史上最高を記録したが、その陰で困窮する労働者が急増している。「生存権」を保障した憲法は、その方策として「勤労の権利と義務」を掲げる。だが、労働環境の劣化は生存権すらも脅かしている。第四部では「貧困と労働」の現場を歩いた。】(2007年12月28日まで)
http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2007/kenpou/

なお「はじめての憲法 逐条解説」のHPは、
http://www009.upp.so-net.ne.jp/law/kenpou.html
あ な た は 憲 法 の 条 文 を 一 つ で も 知 っ て い ま す か ?
 戦後60余年を迎え、憲法改正について踏み込んだ議論がはじまっています。 性急な憲法改正への動きの中、その中心にいなければならないはずの国民が、どこにも見当たりません。憲法とは誰のためのものでしょうか? 戦争の放棄を誓った憲法前文や第9条をどう考えればよいのでしょうか? 日本国憲法は、いまも世界中の人々が求めてやまない理想をかかげています。憲法には何がきざまれ、それがどのような意味を持ち、私たちに何を語りかけているのでしょうか?
 当サイトでは、抽象的な憲法議論の紹介を中心とはせず、憲法の条文を一つ一つ紹介しながら、どのような意味や議論があるのかを、逐条解説の形で簡単に解説しています。まずは条文だけでも読んでみて下さい。連日報道される憲法改正の議論が、もっと身近で興味の持てるものになれば幸いです。
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2012年04月23日

野口雨情(北茨城市生まれの詩人) 郷土で再脚光

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012042390120540.htmlより、
野口雨情 郷土で再脚光 癒やしのコンサート、研究本
2012年4月23日 12時05分
(写真)北茨城市でコンサートを予定している長野県中野市の「晋平少年少女合唱団」(鈴木さん提供)

 童謡「赤い靴」「シャボン玉」などの作詞で知られる茨城県北茨城市生まれの詩人野口雨情(一八八二〜一九四五年)が脚光を浴びている。雨情の童謡で東日本大震災で被災した人たちを癒やそうと二十九日、被災地の北茨城市でゆかりの少年合唱団によるコンサートが開かれる。古河市の元小学校教諭は、研究から雨情の詞に平和への秘めた思いが読み取れるとして、そのことを本にまとめた。(近藤統義、原田拓哉)
 コンサートを発案したのは市民グループ「茨城の地域づくりと観光を考える会」代表の鈴木俊勝さん(71)=土浦市=で、雨情とともに数々の名作を生み出した作曲家中山晋平の出身地である長野県中野市から「晋平少年少女合唱団」を招く。
 雨情と晋平は大正時代初めに東京で知り合い、「シャボン玉」「あの町この町」「黄金虫」など約二百曲をともに手掛けた。その縁で北茨城、中野両市は一九八〇年に姉妹都市になり、震災では中野は北茨城へ救援物資や義援金を送り届けた。
 これまで音楽での交流はなかったことから、長野で幼児期を過ごした鈴木さんはこのことを知り、北茨城市にコンサート開催を働き掛けた。快諾した市が主催となり、地元合唱団も参加することになった。鈴木さんは「今度は北茨城から長野へ歌いに行くなど、さらに交流が深まってほしい」と期待する。
 会場は、雨情の母校の同市磯原町磯原の市立精華小学校体育館。二十九日午前十時から。入場無料。問い合わせは市まちづくり協働課=電0293(43)1111=へ。
     ◇       ◇
 本は奈良達雄さん(79)の「野口雨情 名作の底に流れるもの」で、雨情の平和主義者の側面も伝えている。
 奈良さんは労働運動などを通じて雨情を研究。この本では、社会主義の思想家としての立場から、作品が生まれた背景を紹介している。奈良さんは「若き日の雨情は日露戦争にも反対した。雨情は数多くの名作を送り出したが、誰でも知っている歌の中にも、そうした思想が貫かれている」と説明する。
 奈良さんはこれまでも「こころの変遷 野口雨情」などを出版し、笠間市出身の劇作家伊藤貞助や古河市のプロレタリア作家若杉鳥子についても研究書をまとめている。
 今回の本の問い合わせは、東銀座出版社=電03(3813)4561=へ。(東京新聞)
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2012年04月22日

那須烏山市「ど根性桜」満開 「工事に支障あれば、撤去」県森林整備課

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120419/k10014565261000.htmlより、
震災で斜面滑り落ちた桜満開
4月19日 14時56分

栃木県那須烏山市で東日本大震災で起きた地すべりで斜面を滑り落ちた桜の木が根を張って花を咲かせ、満開となっています。
近くに住む人からは“ど根性桜”だと驚きの声も出ているということです。
那須烏山市の藤田地区には道路脇に50メートルほど続く桜並木がありますが、震災で起きた地すべりで、3本の桜の木が斜面を20メートルから30メートルほど下まで滑り落ちました。
震災から1年余りたちましたが、3本の桜は根ごと滑り落ちたため、斜面の下で根を張って花を咲かせ、今、満開となっています。
不安定な斜面で、1本はほぼ垂直に立った状態で、残りの2本は傾いた状態で花を咲かせていて、近くに住む人からは“ど根性桜”だと驚きの声も出ているということです。
那須烏山市商工観光課の青木守さんは「震災ですべり落ちた桜がけなげに花を咲かせている姿にとても勇気づけられます。市民の皆さんにも見てもらい、勇気を分けてもらってほしい」と話していました。

http://www.shimotsuke.co.jp/town/region/north/nasukarasuyama/news/20120420/766358より、
生きている証し、被災桜満開 那須烏山の元自然休養村
下野新聞(4月20日 朝刊)

【那須烏山】東日本大震災で被災し廃止された藤田の自然休養村で、土砂崩れに巻き込まれた桜が、崩落現場の斜面で、満開の花を咲かせている。
 こぶしの湯や宿泊施設などがある同休養村は、震災で地割れや土砂崩れが発生。入り口の道路脇の斜面は幅27メートル、長さ50メートルにわたり崩落。その際、沿道の桜も下に崩れ落ちた。
 桜は今、崩落した斜面の途中に1本、その数メートル下には3本が横倒しになりながらも、花を咲かせている。開花に気付いた小白井のNPO法人役員、碓氷祥世さん(44)は「崖下を見たら満開で驚いた。根元から倒れても頑張って生きていて偉い。自分も頑張らなければと、励まされた」という。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20120420/CK2012042002000123.htmlより、
【栃木】希望の桜満開 那須烏山 震災で50メートル崩落、傾いてなお
東京新聞 2012年4月20日
(写真)斜面を約50メートルも滑り落ち、横倒しになりながらも満開の花を咲かせた桜=那須烏山市で

 被災地に「希望の花」が咲き誇る。東日本大震災で土砂崩れが起きた那須烏山市藤田で、斜面を滑り落ちて倒れた桜が満開の花を咲かせた。
 市は震災で震度6弱を記録。市商工観光課によると、同地区は大規模な土砂崩れに見舞われた。周辺の市道脇は桜並木になっており、地元では名所として知られる。このうち、三本が土砂崩れで斜面を約五十メートル下まで崩落したという。
 震災から一年余り。横倒しとなり、根が半分ほどむき出しになりながらも、立派な花を咲かせた。土砂崩れの衝撃で裂けた幹にも、花を付けるなど生命力の強さが垣間見える。三十メートルほど滑り落ちた別の一本は、立った状態で斜面にとどまり、ピンク一色に染まる。
 桜並木の写真を撮るために訪れた、地元の情報発信事業などに取り組むNPO法人「e−とちぎ」の松田祥世さん(44)は、急斜面に広がる光景を見て、びっくり。「倒れた状態で、生きているだけでなく、花を満開に咲かせていることに元気をもらえた」と話した。
 斜面は現在、県が治山工事を進めている。桜の今後の取り扱いについて、担当の県森林整備課は「基礎工事などに支障を来すようであれば、撤去せざるを得ないが、まだ決まっていない」としている。
 市商工観光課は「けなげに咲く桜には勇気づけられるが、崩落した危険な場所なので、見に来る人は十分に注意して」と呼び掛けている。(磯谷佳宏)

http://mainichi.jp/select/news/20120421k0000m040037000c.htmlより、
東日本大震災:土砂崩れで流された「ど根性桜」満開…栃木
毎日新聞 2012年(最終更新 04月20日 19時31分)
(写真)斜面から崩れ落ちたまま満開となった桜=栃木県那須烏山市で2012年4月20日、長田舞子撮影

 東日本大震災で震度6弱を記録した栃木県那須烏山市で、土砂崩れで流された3本の桜が満開に。地元では「ど根性桜」と呼ばれ被災者を勇気づけている。
 土砂崩れは縦50メートル、幅25メートルほど。3本はもともと桜並木の一部で、20〜30メートル下の崖下で1本は立って、2本は地面に横たわったまま咲いている。見ごろは22日ごろまでという。
 市内では死者2人、全壊66棟の被害があり、今も43人が仮設住宅に暮らす。近くのパート、津浦宏さん(57)は「災難から立ち上がろうとする日本人の心を映している。復興の象徴になって」と見守っていた。【長田舞子】

http://mytown.asahi.com/tochigi/news.php?k_id=09000001204210001より、
落ちても満開「ど根性」桜
朝日新聞 2012年04月21日

 那須烏山市のこぶしが丘温泉にある桜並木で、震災によるがけ崩れで斜面の下に落ちた4本の桜が満開の花を咲かせている。市商工観光課によると、震災前は桜のトンネルを楽しもうと多くの観光客が訪れていたという。
 桜の「ど根性」ぶりを見つけたのは、NPO法人「e―とちぎ」の碓氷祥世さん(44)。並木の写真を撮影中に見つけた。「一生懸命に花をつける姿に感動しました」
 大谷範雄市長は「まさに復興桜。今後は移植なども検討していきたい」と話している。
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2012年03月22日

4月26日に第91回学習会を開催します

「国本平和学習会」からのお知らせ

☆毎月第4木曜日に定例学習会を開催しています。
☆時間は、午後7時〜午後8時(延長:午後9時まで)
☆学習教材として『日本国憲法』(童話屋、300円)と
 『あたらしい憲法のはなし』(童話屋、300円)を使用しています。
☆会場は「国本地区市民センター」です。所在は「検索」などで確認して下さい。
☆誰でも参加できます。(参加無料)
☆平和、文化、教育問題についての発言者、戦争体験の発表者を募集しています。
☆会員募集中です。(年会費:1000円)
☆ブログ:http://khgk.seesaa.net/

下記の通り、第91回学習会を開催します。

第91回学習会
日時:2012年4月26日(木) 午後7時〜8時
会場:国本地区市民センター 2階 集会室
内容:基本的人権を考える
1.教材学習
 『日本国憲法』 国民の権利及び義務(16〜27頁)
 『あたらしい憲法のはなし』 基本的人権(35〜40頁)
2.自由討論
3.その他

☆次回予定
第92回学習会
日時:2012年5月24日(木) 午後7時〜8時
会場:国本地区市民センター 2階 集会室
内容:国会を考える
1.教材学習
 『日本国憲法』 国会(28〜36頁)
 『あたらしい憲法のはなし』 国会・政党(41〜58頁)
2.自由討論
3.その他

詳しくは、事務局(今井)まで、お問い合わせ下さい。
☆TEL:028−902−4200
☆FAX:028−902−4221
☆Email:05a21@goo.jp

☆学習教材について
「憲法を生かす会・栃木」のHPに、どちらも全文掲載されています。
http://www2.ucatv.ne.jp/~kenpou.snow/niken2.htm

また東京新聞のHPに、「試される憲法」が掲載されています。
【日本国憲法の誕生から60年。日本の“かたち”を決する、還暦を迎えた最高法規を改めようという動きが顕著になっています。これからの時代、憲法はどうあるべきなのでしょうか。不戦の誓いを掲げた9条を中心に、各分野の人たちが憲法を考え、語ります。】(2007年12月29日終了)
http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2007/consti/

さらに「憲法を歩く 施行60年」が掲載されています。
【戦後最長の好景気を更新中と言われても、多くの働く人々にその実感はないだろう。国内企業全体の利益は昨年、史上最高を記録したが、その陰で困窮する労働者が急増している。「生存権」を保障した憲法は、その方策として「勤労の権利と義務」を掲げる。だが、労働環境の劣化は生存権すらも脅かしている。第四部では「貧困と労働」の現場を歩いた。】(2007年12月28日まで)
http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2007/kenpou/

なお「はじめての憲法 逐条解説」のHPは、
http://www009.upp.so-net.ne.jp/law/kenpou.html
あ な た は 憲 法 の 条 文 を 一 つ で も 知 っ て い ま す か ?
 戦後60余年を迎え、憲法改正について踏み込んだ議論がはじまっています。 性急な憲法改正への動きの中、その中心にいなければならないはずの国民が、どこにも見当たりません。憲法とは誰のためのものでしょうか? 戦争の放棄を誓った憲法前文や第9条をどう考えればよいのでしょうか? 日本国憲法は、いまも世界中の人々が求めてやまない理想をかかげています。憲法には何がきざまれ、それがどのような意味を持ち、私たちに何を語りかけているのでしょうか?
 当サイトでは、抽象的な憲法議論の紹介を中心とはせず、憲法の条文を一つ一つ紹介しながら、どのような意味や議論があるのかを、逐条解説の形で簡単に解説しています。まずは条文だけでも読んでみて下さい。連日報道される憲法改正の議論が、もっと身近で興味の持てるものになれば幸いです。
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2012年03月10日

【栃木】復興へ歩む 震災から1年 1〜5

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20120309/CK2012030902000085.htmlより、
【栃木】復興へ歩む 震災から1年<1> 仮設住宅
東京新聞 2012年3月9日
(写真)「今年は元気に生活再建」と語り、笑顔で妻の髪をとかす曽根原さん=那須烏山市で

◆代表者 曽根原 勉さん(63)
 荒川沿いの平地に立ち並ぶ、五棟のプレハブ住宅。川からわたって来る風が、凍りつくような寒さをまとって吹き込んでくる。
 昨年五月、県内で唯一の仮設住宅が設置された那須烏山市岩子地区。九日、開所から丸十カ月を迎える。
 「少しずつだけど、生活再建は進んでいる」
 重度の障害があり、車いす生活を送る妻くみ子さん(62)を見つめながら、優しくほほ笑む。不自由な仮設住宅暮らしでも笑みを絶やさない。
 新潟県生まれ。二十年前、勤め先の大手電子部品メーカーの宇都宮営業所に転勤し、「妻を温泉に入れてあげたい」と那須烏山市の温泉近くに居を構えた。
 一年前のあの日、同市は震度6弱を記録。市内の外出先から自宅に引き返し、息をのんだ。一階の壁は突き破られ、反対側の景色がむき出しに。「自分の家が壊れているなんて、思いもしなかった」
 市内の福祉施設にいて、難を逃れたくみ子さんの無事を確認。めちゃくちゃになった家の中で、必死にくみ子さんの薬を探した。
 自宅の片付けに追われた後、市役所から「仮設住宅に入居しないか。出入り口には、車いす用のスロープも付ける」と電話が入った。受話器越しの声が、心に染みた。
 仮設住宅への入居とともに、二十世帯六十七人の代表者に。市役所などと交渉する窓口役になった。
 入居者は全員、那須烏山市民。しかし、「寄り合い所帯」をまとめるのは容易でなかった。
 「ほかの人より自宅の被害がひどいので、片付けにいく」「会社に行かないといけない」などと主張し合う入居者たち。ごみ当番さえ決まらない。それでも「不幸を順位付けしないで、一緒にやっていこう」と訴え続けた。
 思いは通じる。昨年八月に夏祭り、十二月に感謝の集いを開くと、多くの人が集まり、笑い声があふれた。今はもうばらばらではない。
 仮設住宅では、震災から一年たった今も十七世帯五十三人が暮らしている。自らも自宅再建のめどは立たない。仮設住宅の設置期間は原則二年だが、役割を終える見通しは立っていない。
 しかし、今年の年賀状にこう書いた。「命があれば、これで十分です」
 強く思うのは「壊れてしまった家で暮らした二十年より、これから過ごす十年の方が大事」。妻と寄り添い、未来を築く覚悟があるから、笑顔でいられる。

◇明日への言葉
壊れてしまった家で暮らした20年より
これから過ごす10年が大事

   ◇  ◇
 東日本大震災の発生から、十一日で一年を迎える。震災では、県内も死者四人を出すなど大きな被害を受けた。県内の被災者、県外からの避難者、そして支援者。それぞれの立場から復興を目指す人たちの「今」を追った。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20120310/CK2012031002000065.htmlより、
【栃木】復興へ歩む 震災から1年<2> 支援グループ
2012年3月10日

◆チーム日光代表 小坂 憲正さん(43)
(写真)集会所の模型を前に、笑顔で活動について語る小坂さん=日光市で

 「家だって本来は買うのではなく、自分の手で造るものですよ」
 昨年十月、支援に向かった宮城県南三陸町歌津(うたつ)地区で、町づくり団体の代表者にそう語り掛けたことが、すべての始まりだった。
 東日本大震災後、被災地を支援しようと、地元・日光市の住民らと「チーム日光」を結成。友人の実家がある宮城県石巻市で、炊き出しや家屋の泥出し、救援物資の提供を続けていた。「歌津には家もなく、人もいない」と聞き、訪れてみると、津波による壊滅的被害で、言葉通りの惨状が広がっていた。
 歌津地区で復興に取り組む地元団体の代表者に会った。「人が集まって話し合う場所がないと、町づくりはできない」と意見が一致したが、南三陸町に集会所を造る財政的余裕はない。「だったら、自分たちで造る」
 自身は木造建築を手掛けてきたログビルダー。扉作家としても、独創性豊かな作品を世に送り出してきた。「新たな町づくりには創造性が重要。プレハブの集会所で考えても、創造性は低くなってしまう」
 ゼロからの町づくり。原点回帰の意味を込め、縄文時代の竪穴住居を再現した建築様式に決めた。
 用地は、高台にある仮設住宅の敷地に内定した。ただ、手づくりといっても建材費などは必要。それでも「やると言ったらやるのが俺たちのチーム」。
 揺るがない決意を、意気に感じた支援の輪が広がった。
 林業が盛んな三重県尾鷲市の企業が、ブログでチーム日光の活動を知り、ヒノキを提供。日光市の作業場まで無償で届けてくれた。丸太の皮をむく手作業は、チームのメンバーだけでなく観光客も手伝った。同市内の木材会社は屋根材を提供してくれた。
 資材は整った。次は、どう現地へ運ぶか。市内の別の木材会社の社長に相談すると「三重からただで持ってきてくれたのに、こっちだって金は取れない」。自ら大型トラックを運転してくれた。
 昨年十二月から組み立てを開始。初めは、のみさえ満足に使えなかったチームのメンバーは、日ごとに頼もしい“大工”になり、約八十五平方メートルの竪穴式集会所が姿を現し始めた。
 鍵穴形の形状と、地区のキーポイントになってほしいという願いから「歌津迎賓館『鍵』」と命名。五月二十三日のオープンを目指し、来月からいよいよ仕上げに入る。
 多くの人の善意がなければできなかった活動。「人と人との縁が『奇跡』を起こした。大変な時でも、いいものをつくろうとすると、人は一つになれる」

◇明日への言葉
いいものをつくろうとすると
 人は一つになれる

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20120311/CK2012031102000063.htmlより、
【栃木】復興へ歩む 震災から1年<3>   避難所
2012年3月11日
(写真)「自分も年を取ったら、そうなるかもしれない」。寝たきりの高齢者らを受け入れた経緯を語るホーシェンさん=日光市で

◆バングラデシュ人経営者 アクタール・ホーシェンさん(45)
 東日本大震災から九日後の昨年三月二十日。福島ナンバーの救急車やタクシーが次々に乗り付け、医師や看護師に付き添われたお年寄りたちが、大部屋に吸い込まれていった。中禅寺湖を望む奥日光のホテル「アジアンガーデン」(日光市)。この日から八カ月間、介護が必要な「災害弱者」が身を寄せる避難所となった。
 「福島県南相馬市の病院が閉鎖した。患者を受け入れてもらえないか」。きっかけは、福島県庁からの一本の電話だった。
 かつてカレー店を出した福島の友人を介し、東京電力福島第一原発事故で家を追われた福島県飯舘村の住民を受け入れる話に応じた。それを同県庁に電話で伝えると、一時間後に返事があった。飯舘村の人たちは鹿沼市に避難させる。代わりに、南相馬市の病院や老人ホームにいた八十人を頼むという依頼だった。
 快諾し、その時点で入っていた宿泊予約をすべて取り消した。
 送られてきたリストを見て、目についたのが年齢。ほとんどが八十〜九十代で寝たきりの人たちだった。症状の重い十人は病院に移り、残る七十人の共同生活を支え続けた。
 病院でもないホテルでの世話。ボランティアの医師から「死亡者が出ても責任を取れるのか」と、声を荒らげて詰め寄られることもあった。
 しかし、震災翌日に、被災地に車を走らせて目にした光景が頭から離れなかった。「若くて元気な人なら歩けるが、水も電気もない所で寝たきりの人を放っていたら死ぬ。被災した現地を見たら、責任を争っている場合じゃなかった」
 当初、外国人が経営するホテルでの暮らしに不安を抱く避難者もいた。やり場のない怒りからいらだち、けんかになる人も。しかし、黙って聞いた。「大変だったね」とは一度も言わなかった。
 二週間もすると、口を開く人が増えた。「冗談を言って笑っていたら、みんな変わった」
 「亡くなってもおかしくない」と危惧した九十九歳の女性も、昨年八月末に福島へ戻る時には、自力で車いすに乗れるほど元気に。昨年末に最後の家族を見送り、ホテルに日常が戻った。
 「世界の中でも発展した日本」に憧れ、二十五年以上前に来日。会社勤めを経て、首都圏各地で料理店やホテルを持つ経営者になった。遠い母国は、毎年のように洪水に見舞われる。「真っ先に支援の手を挙げるのはいつも日本だった」
 しかし、今回の行動は「恩返しということではない」。日本人の優しさに触れて、ここまでこれたという思いが強い。ホテルの収入がゼロになることなど「考えている場合じゃなかった。頭で考えていたら何もできない」。
 奥日光の雪解けが待ち遠しい。「春よ来い、早く来い」。流ちょうな日本語で口ずさんだ。

◇明日への言葉
頭で考えていたら何もできない

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20120313/CK2012031302000066.htmlより、
【栃木】復興へ歩む 震災から1年<4> 被災者
2012年3月13日

◆福島県から避難した主婦 高原 沙織さん(29)
 初節句を祝うつるしびなが飾られた、足利市内のアパート。今月五日で七カ月になった長女七未(ななみ)ちゃんを抱き、いとおしそうに眺める。
 福島県楢葉町の家を離れて一年。会社員の夫(37)、長男の蒼(あおい)ちゃん(4つ)、義父母、義弟との七人で身を寄せ合って暮らす。楢葉町は大半が、東京電力福島第一原発から二十キロ圏内の警戒区域に含まれ、「あの日」から一度も戻っていない。
 昨年三月十一日。事務員として勤める福島県大熊町の病院で事務用品を検品していたら、床が激しく揺れた。患者たちが外へ飛び出していく中、自分も制服のまま、病院から五分の距離にある同町内の実家に行った。
 しかし、同原発に原子力緊急事態宣言が出され、政府が周辺住民に避難を指示。
 おなかには新たな命が宿っていた。当時、妊娠五カ月。前置胎盤と診断され、医師から安静にするように言われていた。「ちゃんと産めるのか。この先どこに行くんだろう」。不安ばかり膨らむ中、長い避難生活が始まった。
 実家の両親や妹家族とともに身を寄せたのは大熊町内の体育館。冷たい床に横になると、おなかにかすかな反応があった。「動いてる」。避難所で感じた、初めての胎動だった。
 両親らと同県田村市の体育館に移ると、別の場所に避難していた夫や蒼ちゃんが迎えに来た。義父母らも含む十数人で、親戚の家がある群馬県館林市へ。隣接した足利市で避難所を開設するという話を聞き、三月十六日、栃木県に移った。
 避難所のセミナーハウスは調理室があり、風呂にも入れた。でも、足利市内の病院に初めて検診に行った時、心細さにぼろぼろ泣いた。待合室のテレビでは、原発事故のニュースが流れていた。
 両親らは、福島県会津若松市へ移住。自分たちの家族は足利市内の市営住宅に入居したが、半年間の期限があり、七月に今のアパートに移り住んだ。
 不安は尽きなかったが、おなかの子が動くたびに「生きてるんだな」と感じることができた。前置胎盤も自然に治り、八月五日に七未ちゃんを出産。痛みに耐えながら、故郷を思い出し涙が出た。
 「楢葉の家は、どんなお風呂だった?」「おもちゃを楢葉に忘れてきちゃった」。幼稚園に通う蒼ちゃんが、毎日聞いてくる。「地震で家が壊れて、大工さんが直している」と伝えているが、小さな子なりに記憶が薄れないようにしている姿を見ると、つらくなる。
 「楢葉町の家に帰りたいけど、不安を抱えながら子どもは育てられない。福島に戻るなら、年を取ったときに私たちだけで」
 手がかからず、すくすくと育つ七未ちゃんは、栃木しか知らない。未来は、わが子に付けた名前のようになってほしいと願っている。「七色の明るい未来が広がるように」

◇明日への言葉
福島に戻るなら、年を取ったときに私たちだけで

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20120314/CK2012031402000075.htmlより、
【栃木】復興へ歩む 震災から1年<5> ボランティア
2012年3月14日
(写真)現在は17日に開催する「お茶会」へ向け準備を進める田中さん=宇都宮市で

◆古里思い避難者ケア 宇都宮大2年 田中 えりさん(20)
 やり切れない気持ちに、一筋の光が差した。
 昨年七月、宇都宮大の学生ボランティア「福島乳幼児・妊産婦支援プロジェクト」の報告会に参加。東日本大震災で福島県から避難してきた人たちをケアする活動の様子を知り、自分も支援の輪に加わることを決意した。
 「それまで周りに目を向けられなかったけど、少し落ち着いて『何かしたい』と思った」
 福島県浪江町生まれ。宇大国際学部に入学して一年が過ぎようとするころ「3・11」が起き、宇都宮市内のアパートも被災した。大揺れの中、室内にあった大きな鏡を押さえ続け、現実を受け入れられないまま、先輩の自宅へ避難した。
 福島第一原発に近い古里も一変。テレビで、地震と原発事故による未曽有の被害を知る。実家とは幸い連絡が取れ、家族七人を宇都宮市に呼び寄せた。八畳のアパートで、川の字になって寝た。
 その後、家族は帰郷したり、新たな家に移るなどして「次の一歩」を踏み出した。だが、自分は何をしたらいいのか、気持ちの整理がつかない。
 ボランティア活動は、決して遠い存在ではなかった。一昨年、フィリピンでストリートチルドレンの家を造る活動に参加した経験がある。しかし、家族と古里を巻き込んだ震災と向き合う活動には、覚悟が必要だった。
 参加した報告会は、そんなためらいを吹き飛ばしてくれた。
 自分の担当は、福島県から県内に避難してきた同じ境遇の人たちが、気軽に話ができるように「お茶会」を主催すること。互いに交流を深めることで、少しでも過ごしやすいと感じてほしかった。
 お茶会には、若い夫婦らが集まり、子育ての悩みなどを話し合った。「親近感がわき、たわいのない話で笑顔になれる。それだけで、よかったと思う」
 活動の中で、避難者から「浪江の人に会えてよかった」と声を掛けられた。心が躍った。自分が、今回の活動に取り組む意味を見いだした気がした。
 一方、被災者としての思いも募る。浪江町は原発事故で計画的避難区域などに指定され、住むことができない。「今も実感がわかない。自分の古里に、誰もいないと思うと恐ろしい」
 それでも、今は、こう思える。「私には被災者と支援者という二つの顔がある。だからこそ、自分にしかできないことがある」。自分も被災者の一人だから、避難してきた人たちの気持ちが分かる。人を元気にしたいと心から願い、励ますことができるに違いない。
 ボランティアとは何かと問われても「答えなんてあるのか」と感じる。だが、進む。人と寄り添える自分であるために、歩み続ける。

◇明日への言葉
私には被災者と支援者という 二つの顔がある
だからこそ、自分にしか できないことがある
=おわり
posted by 平和憲法を学ぶ at 13:44| 栃木 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月04日

東日本大震災1年 11日、県内でさまざまな追悼式やイベント

http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20120304ddlk09040068000c.htmlより、
東日本大震災:復興への決意新たに 発生から1年迎える11日、県内でさまざまな追悼式やイベント/栃木

 ◇那須町は地元農産物振る舞い安全性PR
 東日本大震災の発生から1年を迎える11日に合わせ、県内ではさまざまな追悼式やイベントが予定されている。犠牲者があった那須烏山市や芳賀町では独自の取り組みを進めている。那須町では、福島第1原発事故からの復興への思いも込めて、地元の農畜産物を振る舞い、安全性をPRするという。この日、県内は鎮魂と復興の思いに包まれる。【中村藍】
 県庁では式典「とちぎ復興のつどい」。震災発生時刻の午後2時46分に黙とう。那須烏山市の仮設住宅の住民と福島県からの避難者、校舎が被災した市貝町立市貝中学校の生徒の3人が復興への決意を語る予定だ。
 その後、春に開花するコブシとハクモクレンの木を県庁前の県民広場に植樹し、震災の記憶を忘れず、復興を遂げる気持ちを新たにするという。
 2人が犠牲となった那須烏山市では、市職員や消防署員らを対象に防災訓練。震災を機に見直した地域防災計画の確認や職員向けの行動マニュアルを確認し、備えを新たにするという。1人が亡くなった芳賀町では、午後2時46分に防災無線でサイレンを鳴らし、町全体で犠牲者に黙とうをささげる。
 また、国の汚染状況重点地域の指定を受けている那須町では、町文化センターで復興に取り組む思いを込めてメモリアルイベントを開催。会場前には311本の竹灯籠(とうろう)を設置し、犠牲者の冥福を祈る。
 式典では、東北の被災地のほか、震災直後に町内で撮影した写真を集めたDVDを上映。高久勝町長が「震災復興とこれからのまちづくり」をテーマに講演する。また、那須和牛の試食会や新米の抽選会も。地元食材をふんだんに使った豚汁なども振る舞う。町の担当者は「被災したうえ、放射性物質の問題もいまだに払拭(ふっしょく)できずにいる。復興の決意を新たにし、3・11を後世に伝えていきたい」と話している。
毎日新聞 2012年3月4日 地方版
posted by 平和憲法を学ぶ at 20:30| 栃木 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする